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新潟家庭裁判所 昭和62年(少)1664号 決定

少年 KN(昭47.4.5生)

主文

少年に対し強制的措置をとることは、これを許可しない。

本件を、新潟県中央児童相談所長に送致する。

理由

1  本件申請の要旨

少年は、昭和61年4月の恐喝、同年6月の自転車盗・恐喝・傷害事件で○○署の補導を受け、同年7月横浜家庭裁判所小田原支部の係属となり、その後もバイク無免許運転・家出が有り、同年9月22日横浜鑑別所に観護措置がとられ、同年10月16日に審判、少年法18条により神奈川県中央児童相談所送致の決定を受けたが、同年11月10日新潟県○○町に転入し、同年11月17日○○中学校から相談受理、調査・指導を開始するが、補導歴はないものの教師への反抗・他生徒への暴力・恐喝・器物破損・授業妨害・エスケープ・怠休・不良交遊・喫煙等の問題が続き、昭和62年4月15日新潟学園入所措置となつた。そして、新潟学園に入所後も、日課からの逸脱・態度の悪さ・職員への反抗等の問題に加え、他園生への影でのイジメ(暴力・威圧・物品の強要・脅し等)が続き、同年6月29日国立武蔵野学院入所措置となつたが、同年9月5日無断外出、同日保護された。武蔵野学院における少年の状況は情動不安定な性格特性がみられ、他院生の動向によつて容易に無断外出が誘発される状況にあり、今後も無断外出の可能性、その際に窃盗・恐喝を犯す虞が高い。武蔵野学院での指導のためにも解放寮舎のみでの対応は困難であり、国立武蔵野学院入所予定期間1年6ヵ月の間に、通算180日の期間を限度に強制措置をとることの許可を求める。

2  当裁判所の判断

本件記録及び審判の結果によると、次の事実が認められる。

(1)  少年は、神奈川県平塚市○○の県営住宅に居住し、同市立の中学校に通学していたが、昭和61年4月に恐喝、同年6月に窃盗・恐喝・傷害、同年8月に原動機付自転車の無免許運転をなし、横浜家庭裁判所小田原支部において、同年9月22日観護措置がとられたうえ、同年10月16日神奈川県中央児童相談所送致の決定を受けた。

少年の母は、近隣の非行多発地域の不良仲間と少年を引き離し、さらに問題行動を起こす少年に対し暴力を振う父とも別居するため、昭和61年11月、新潟県西蒲原郡○○町へ少年とともに転居した。

(2)  少年は、昭和61年11月17日○○中学校へ転入し、当初不良グループとつき合わず、真面目になろうと思つていたが、同中学校の不良グループからの誘いが強く、いじめる側に立たないといじめられると考えて、同グループとつき合いだし、教師への反抗、他生徒への暴力・恐喝、器物破損等をなし、授業妨害、エスケープ、怠休もするようになつた。

新潟県中央児童相談所は、昭和61年12月26日神奈川県中央児童相談所から少年のケースを引き継ぎ、昭和62年4月15日少年に対し、教護院(新潟学園)入所措置をした。

(3)  少年は、新潟学園においても、職員への反抗、日課からの逸脱・態度の悪さの問題に加え、擦れ違いざま蹴る、入浴時突然陰部を蹴る、後ろから来て顔を狙うなどの暴力、威圧、物品の強要、脅しなど、他園生への陰湿ないじめが続き、他園生の無断外出を引起こした。

そのため、新潟県中央児童相談所は、昭和62年6月29日少年に対し、国立武蔵野学院入所措置をし、新潟学園入所措置を解除した。

(4)  少年は、新潟学園においては問題児であつても、全国レベルで考えると大きな問題のある少年とはいえず、国立武蔵野学院においては、問題の少ない少年を集めた寮に入り、大きな問題も起こすことなく、他院生へのいじめも少なく、逆にいじめられることが多かつた。

ところが、少年は、昭和62年9月5日教官が教室から席をはずした間に、窓から飛び出し、無断外出に至り、その際、同寮のA(13歳)も逃走し、両名で7km程離れた退院した元院生の家に行つたが、その親に追い払われ、その後、タクシーに乗つて所沢市のAの家に行つたものの、留守で、タクシー代金が払えないことから、同運転手に警察に突き出され、国立武蔵野学院に戻された。

(5)  少年は、身体が同年代の中で小さすぎることや、知的にも遅れていることが過度に気になり、バカにされないよう実際以上に見せようとして虚勢を張り、他人からの評価に過敏に反応し、情緒面では安定を欠き、刺激に感情がすぐ動揺しそれを短絡的に表出するという性格から、他生徒の動向によつて無断外出の可能性がないとはいい切れない。

しかし、国立武蔵野学院の現在少年がいる寮の教官は、少年のことをよく考えて指導をしており、少年も同教官に愛着を持つていること、少年には立ち直りたいという気持があり、今回の無断外出について反省しており、無断外出しないと約束していること、さらに今回の無断外出後に他生徒から逃げようという誘いがあつたがこれを断わつていること、新潟学園及び国立武蔵野学院における約半年間の教護院生活において無断外出をしたのは今回の1度だけであることから、少年に対して強制的措置によらず、指導していくのが現段階においては適当である。

よつて、少年に対し強制的措置をとることを許可しないこととし、主文のとおり決定する。

(裁判官 駒谷孝雄)

〔参考〕送致書

送致書

新潟家庭裁判所長 殿

昭和62年9月9日

(住所) 新潟市○○町×丁目××の×

(職業又は身分) 新潟県中央児童相談所長

送致者 ○○

当56年

次の少年を児童福祉法第27条の2により送致します。

少年

保護者

氏名

年令

K・N

昭和47年4月5日生

K・K子

当38年

職業

○○中学校3年

パートタイム,生活保護受給中

住居

新潟県西蒲原郡○○町大字○○××番地

埼玉県浦和市大字○○××番地

新潟県西蒲原郡○○町大字○○××番地

本籍

新潟県西蒲原郡○○町大字○○××番地

審判に付すべき事由

少年は小学校6年生当時から不良交遊・集団万引・喫煙の問題行動がみられ、昭和61年4月の恐喝、同年6月の自転車盗・恐喝・傷害事件で○○署の補導を受け、昭和61年7月横浜家庭裁判所小田原支部の係属となった。その後もバイク無免許運転・家出が有り、9月22日横浜鑑別所に観護措置がとられ10月16日に審判、少年法18条により神奈川県中央児童相談所送致の決定を受けた。

昭和61年11月10日新潟県○○町に転入、昭和61年11月17日○○中学校から相談受理調査・指導を開始するが、補導歴はないものの教師への反抗・他生徒への暴力・恐喝・器物破損・授業妨害・エスケープ・怠休・不良交遊・喫煙等の問題が続き、昭和62年4月15日新潟学園入所措置となった。

新潟学園に入所後も、日課からの逸脱・態度の悪さ・職員への反抗等の問題に加え、他園生への影でのイジメ(暴力・威圧・物品の強要・脅し等)が続き、昭和62年6月29日国立武蔵野学院入所措置となったが、同年9月5日無断外出、同日保護された。武蔵野学院における本児の状況は情動不安定な性格特性がみられ、他院生の動向によって容易に無断外出が誘発される状況にあり、今後も無断外出の可能性、その際に窃盗・恐喝を犯す虞が高い。武蔵野学院での指導のためにも解放寮舍のみでの対応は困難であり、下記の強制措置をとりたくその許可を求めたい。

少年の保護に関する意見

国立武蔵野学院入所予定期間1年6ヵ月の間に、通算180日の期間を限度に強制措置をとることを許可されたい。

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